あるあるな話だとは思うのですが、当ブログを書いてるのがどんな人間かをちょっとでも知っていただけたら各記事がちょっとだけ味わい深くなるかなと思って書いてみます。
新卒〜SE会社へ新卒入社|社会人標準の履き違え
私は大学では農学部にいました。未開地の地形調査を主にやっていて、2007年に無事卒業。
新卒で富士通関西システムズというSE会社に入社しました。今は合併して富士通株式会社です。
当時の私は予備知識ゼロです。
OSってなんだろう?サーバってなんだろう?GUI?CLI?Javaってなに?
ワードをちょっと触ってExcelはSUM関数が分かる程度。なんで就職できたんでしょうね。
配属はインフラ基盤ソリューション部でした。大阪を拠点に関西地区を回ることが多く、西明石、姫路、和歌山へ行くことが多かったですね。
インフラSEは郊外のデータセンターでお仕事することが多く、伊賀上野、群馬、千葉あたりにもよく行っていました。
今月の予定残業は60時間くらいか、じゃあもう一つプロジェクトお願いできそうやな
そうですね、いけると思います〜
よくある会話でしたが、違和感ありませんでした。何の疑問も感じません。
新卒からずっとそうだったから。これが”社会人標準”だと思っていたんです。
他の会社は?
本当は業界動向のチェックなどして情報収拾でスキルを高めるべきなのでしょうけど、そんなことしなくとも仕事が降ってきます。むしろ降って来すぎるんです。隣の芝生を眺める暇など全くありませんでした。
しかも私は大学の同級生にSEがいませんので、『そっちはどうだい?』もありませんでした。今みたいにSNSもやっていません。
情報交換ができないので、本当に狭い世界で生きていたなと思います。
すごい先輩、すごい上司ばかり
同じ部署で同じグループのメンバー、諸先輩方も皆が月初の計画時点で残業60〜90時間予定。100時間を超えるとさすがに総務部から目をつけられるものの、そこまで深刻に考えていませんでした。
当時の部長がとにかく凄まじく、商談は簡単にとってくるし、お客さんや営業さんからの信頼が絶大なんです。名前だけで仕事をとってこれる人でした。
顧客レビューよりも部長レビューの方が圧倒的に厳しかったです。勉強になることばかりで本当に良い上司の下で働けたと今でも思います。
周りからは暗黒のチームなどと揶揄されたりしていましたが、チームのメンバーは本当にいい人ばかりでした。違和感や不幸を感じなかった一番の理由です。
今でも仲良くしています
2015年に退職しましたが、5年以上経った今でもみんな仲良くしていただいています。
当日はどんなにしんどい時でも常に楽しい話でポジティブに盛り上がっていたし、不満や愚痴で満たされる飲み会なんて一度もありませんでした。
徹夜作業や長時間残業でもどんとこいで苦ではありませんでした。苦ではなかったのですが…
ちなみに、これは不幸自慢でも何でもありません。そもそも不幸だなんて思ったことはなかったわけですから。
全てにおいて「これが社会人標準」だと思っていたのだから。
『疲れた』しか言っていなかった(らしい)新婚生活
仕事は山のように…なんて言いつつも、最高の伴侶が見つかり、結婚できました。
独りの時は全く気付いていなかったのですが、私は毎日帰るなり『ああ疲れた〜』とばかり言っていたらしいんです。
慣れない家事に疲れている奥さんを労ることもなく、変わらず帰りも遅く、一人ぼっちにさせていることすら見えておらず。
結婚から半年ほど経ってから、そこそこに怒られて初めて気が付きました。
毎日毎日”疲れた”しか言わへんけど他になんか言うことないの!?
私も疲れてんねんけど!?
いや、言われて初めて“知った“という方が正しいかもしれません。何せ全く自覚がなかったのですから。
そもそも疲れている自覚もありませんでした。相当にヤバい奴ですよ。
そんなブラックな会社、辞めたら?
いや、まあ人間関係もうまいこといってるし、まだ続けるわ
洗脳されてんちゃう。大丈夫?
繰り返しますが、奥さんに何を言われても、これが社会人なんだ、これが普通なんだと思っていたから、辞めるなんていう選択肢はありませんでした。
退職って逃げと一緒やし…
こんな考えすらありましたねえ…
それより次の打ち合わせのこと、次の商談をどう提案するかを自然に考えていました。
ただし、家で仕事は一切しませんでしたし、考えることすらも絶対になかったです。家にいるときは家事育児をするようにはしていました(結局は全くできてなかったんですが…)
ブラック企業に染まっているように見えますが、お客様の環境基盤を設計する、基礎を支える仕組みづくりというのは嫌いではありませんでした。インフラSEは合っていた気がします。
けど今考えると、良くも悪くも”染まってた”んでしょうね…
インフラSEの反抗〜自由な働き方を追求してみた
SE職は17:00でシャッター下ろして『はい閉店』という仕事ではないので、時間に縛られすぎてはいません。波が大きいので時間的に余裕がある時期もあるんです。
私がプロマネやリーダーの場合、メンバーに最大のパフォーマンスを発揮してもらうことを最優先に考えていました。
限界まで自由に動いてもらったつもりです。
作るものを作ってくれたら、出退勤は自由。家でやっててもいいしどこにいてもいい。問題ごとがあれば顧客対応はする。自由にしてくれていいけど、モノ作りだけは全力で助けてほしい。
メンバーには公言していましたが、ベンダーでこんなこと言うリーダーは当時は誰もいませんでした。
おかしいなと思ってはいたんです。
だって、プロジェクト期間中だからって資料作成だけの日でも全員が同じ部屋に集まって黙々と設計書や手順書を作り続けるって、非効率ですよね?サーバを触って確認することがあるならまだしも、それもないのに集まってる日もあったんです。おかしい。
私はとにかくメンバーが最大の成果を出せる環境を作りたかったんです。
資料を作るだけで移動だけに往復2時間も消費して欲しくない。
メンバーも自由をもらえたからか、責任を持って一層熱心にモノ作りをしてくれたし、自分の時間も大切にしてもらえました。
この働き方がトラブルに繋がったことは全くなかったし、私の負担も軽くなりました。事務所で作業したり、協力会社さんの事務所で作業したり、少しばかりの自由ができました。
まさに好循環。…ではあるんですが、負担が軽くなったら新しい仕事が降ってきます。
そう、残業時間が減ったわけではありませんでした。
転職を一瞬で決意させた後輩の一言
入社から6年も7年も経ち、相変わらず何の疑問も持たず80〜100時間の残業を連発していた私は、ある日後輩からのたった一言で転職を決意しました。
なんで京都じゃなくて大阪で就職したんですか?
とにかく転職のイメージなんてなかったので、この質問が衝撃でした。
確かになんでやろ。何故毎日1時間以上かけて通勤してるんやろか。
全然思い出せないから、就職の時は関西のSE会社ってことで内定もらったのが大阪の会社ばかりだったからってだけなんでしょうね。
私は地元が田舎すぎて仕事なくて。なので一番近い大阪市に出てきました。
だからこそこの後輩さんは、なんの含みもなく私に聞いたのだと思います。
本人は知る由もないと思いますが、私は本当にこの一言だけで転職を決めました。
転職前に色々あって引っ越していました。その頃には子供が2人いて、私の両親と二世帯住まいです。
- 京都在住
- 両家の親も京都
- 親族も京都ばかり
- 子供の起きてる姿を見るのは休日だけ
- 奥さんは常にワンオペ家事育児
- 私の親と二世帯住まい
奥さんのストレスは相当なものだったと思います。
毎日とにかく大変そうにしているが、どう大変なのかを私は分かっていません。
ゆっくり話す時間もなかなかありません。黄信号が赤信号に変わるのも時間の問題だったことでしょう。
さすがにこのままだとまずいし、よく考えると会社に愛着があるわけでもない。早く転職しよう。
幸いなことに転職先はすぐに決まったんですが、大きなプロジェクト途中の退職ということもあって諸々の調整がなかなかうまくいかず、決断から退職まで半年近くかかってしまいました。
次の職場は家からゆーっくり歩いても15分、道中は信号なし。これからは家族を大事にしよう。
10年後の自分は?
転職したことで通勤時間が1時間半から10分になりました。残業も全然ない。
当然、帰宅時間が早くなり、子供や奥さんのイベントにも行けるようになりました。奥さんの負担もやっと減ったかもしれません。
転職したことを随分と喜ばれました。もちろん人によりますが、夫の価値は収入だけではないようです。
新しい職場は前職と大きく変わって、SE的に言うとベンダーではなくユーザーです。スタッフのICTリテラシーなど皆無に等しい。SE業務よりもICT関連全般の雑用業務が多くなりました。
苦労することなんてありません。難しい仕事なんて全く来ないのですから。
前職ほど仕事もなさそうなので、ボーッと働こう。上司は超めんどくさい人ですが、忙しくないから別に相手しなくて良いし無視してりゃいいので苦労もないし。なんて思いつつ働いていたのが転職後最初の半年ほどでした。
時間に余裕ができてきたので、30代も半ばになってきた自分の未来、10年後を考えるようになった気がします。
いずれはまたインフラSEに戻るのも悪くないと思ってはいましたが、100時間残業はもういいかな…
全てを変えたきっかけの一言『あなた、パソコン詳しいんでしょ?』
新しい職場ではシステムエンジニアという単語が一人歩きし、本当に色んな依頼が来ました。
明らかに担当が決まっていること以外は、一切断らず仕事を受け続けたのは良い思い出です。
大学生の娘がタブレットを買おうとしている。アドバイスしてやって欲しい
なんて依頼もあった。ちなみに私はタブレット所持経験などない。
講演会を開催するんだけど、社内のどこでも視聴できるようにしてくれない?
うむ、なぜ私が動画を扱えるキャラに?普段YouTubeの視聴すらしないんですが…
どんな仕事も断らず、誠意を持って最大の価値を出して返す。これを徹底しました。何せ時間はあるもので。
最大の結果で返すことがポイントです。誰にも真似できないレベルの雑用。
今思うと、これも働き方改革の一つだったな〜と思います。当初はそんなこと考えていませんでしたが…
するとある日、突然幹部に呼ばれ、
あなた、パソコン詳しいんだよね?
話が広すぎて何を言っているのか全く分かりません笑笑
断じて詳しくはないが、否定する前に言葉がすごい勢いで飛んできました。
見て。この紙の多さ。無駄でしょう。いつまで経っても印刷FAX郵送手書き!こんなのでまともな仕事ができるわけないよね。なんかもっとないの?便利な方法が!他社とももっと連携しないといけないのに、ああ恥ずかしいよね。なんとかしてください!!
普段なら幹部の愚痴として受け流しておきたいところでしたが、そういえば私は基礎を支える仕組みづくりが好きなんですよね。
実現できたらみんながもっと働きやすくなるので、やりがいはありそう。時間もなくはない。
よし、せっかくなのでやってみよう。
やります。僕が乗ります。
シンジくんみたいなこと言ってしましたが、これが全ての始まり、kintoneとの出会いのきっかけでした。
この偶然の出会いから業務改善を仕掛けていく魅力を感じるようになるのですが、光あれば影があります。
決して楽な道のりではありませんでした。本当に苦労しました。
しかも、この時は複業なんて一切考えていませんでしたし、複業なんていう言葉も知りませんでした。。。
後編に続きます
今日はここまで、続きは後編へ。
★後編はこちら
https://note.com/touge_moved/n/n8a67d3d4fe90
近日中にnoteからブログに移します。